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食べられたくない植物たち


私たち人間にとって野菜はとても身近な植物である。

私たちは野菜に対して「ヘルシー」「健康」などとても良いイメージを持っている。

野菜が食卓に並べば、その色鮮やかな色彩で、私たちを視覚的に楽しませてくれる。

そのシャキシャキとした食感や甘みは食事を彩るスパイスとなっている。

栄養面でもポリフェノールや抗酸化物質、ビタミン、ミネラル、食物繊維など様々な成分を摂取することが出来る。

野菜は私たちにとってとてもでありがたい存在である。


ただ、野菜たちはというと・・・

実は食べられたくないのである・・・


キャベツを想像してもらえると分かりやすいが一番外側の部分は食べると苦味が強い。

キャベツを一枚一枚向いていき、内側に近づくほど苦味も薄くなり、甘みが強くなる。

これはキャベツが自分の外側に毒素を持ち外敵から身を守っているからである。

要は食べられたくないのだ。

キャベツ1玉にもそこには命が根付いている。

キャベツも自分の子孫を繁栄させるため、食べられずに成長する必要があるのだ。











野菜たちも外敵から身を守り命を繋いでいく動物や人間と同じである。


だからといって野菜を食べるなと言いたいのではない。

人が生きていくには必ず食べることが必要だから。

ここで伝えたいのは「私たちは他者に支えられながら生きている」ということ。

これを忘れないで欲しい。

野菜も動物も人間もみんな自分自身を守りたいと思っている。

植物は自分の意思で動いたり、言葉を発したりすることができないので

自分の身体に毒素を持つしかない。

人間は自分で動く事が出来るので、逃げたり、攻撃したり出来る。

また、言葉を発することも出来る。

私たちは植物と違い、身体、言葉、意思(どう使うかの決定権)を与えられている。

とても恵まれた存在だと思う。

ところが私たちは誤った行動をとるときがある。

身体を使い人を殴って傷つけたり、言葉を使い人の心を傷つけたりすることも出来る。

これを自分の意思で決定し、やってしまうのである。

人は人を助けたり、優しくすることも出来るのにだ。

誤った行動にでるとき、必ず人は感謝を忘れている。

今まで色んな存在に支えられながら生きてきたことを忘れているのだ。

何のためにこの身体と言葉があるのだろう?

人を傷つけるため?人をいじめるため?

絶対に違う。私たちは人に優しくしたり、人が落ち込んだ時には励ましたり、人と助け合いながら生きるためにあるんじゃないだろうか。

私はそう思う。

だから、このブログを読んでいる方には自分が周囲の存在に支えられて生きてきたことを忘れないでほしい。感謝を忘れないでほしい。

一人ひとりがこのことを忘れずにいれば、良い世の中になるはずだから。



                            






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