人は生きている限り、食べ物を食べる。
人間が健康に生きていくには栄養素が必要だからだ。
人は食べ物を食べないでいるとやがて空腹を感じ、食べ物を探すようになる。
命の存続のために、私たちの「からだ」は空腹感というメッセージを与えてくれるのだ。
まさに命のバトンである。とてもありがたいことである。
もしここで空腹感に従わずに食べないことを選択すると、その先には「死」が待っている。
逆に空腹感に従い食べることを選択すると、その先には「生」が待っている。
人間は、食べる事無しには生きられないように出来ているという事である。
食に対する考え方は人それぞれにあると思う。
人には人の生き方があるように同じく食に対する考え方があるのだ。
今回は「食べる」という事に対してちょっと考えてみよう。
まず、人が食べられる物というのは、全て生きているものである。
残念ながら石や土を食べて生きることは出来ない。
動物、昆虫、植物等生きている物を食べなければならない。
生きているものの命を奪う必要があるのだ。
自分が生きるために他の生命を奪う。
弱肉強食。
これが自然界の仕組みである。
ただ、人間は理性の生物であり命を奪うということに関しては葛藤が生まれる。
だから、動物の殺生を嫌い野菜やフルーツしか食べないことを選択をする人もいる。
動物も植物も共に生きているので、乳製品や無精卵だけを食べて生きる人たちもいる。
この考え方は自然界に反するが、人の愛が生みだした素晴らしい食への考え方である。
では、別の考え方も見てみよう。
私たちが食べた食べ物は身体に入ると分解され、便として排出される。
便はトイレから下水に流され下水処理場に辿り着き、様々な処理を行って、汚泥と水に分けられる。その後、汚泥は最終的に埋め立て地へ、水は海や川へ放流される。
便が処理されるまでの流れは現代ではこのような流れになっている。
でも本来であれば便はトイレに行かずに地に落ち、微生物等により分解され、土に還るはずだ。そして、地に落ちた便は微生物等が分解し養分を土に還し、その土に含まれる養分が植物にとっての栄養となり植物が育つ。この育った植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べる。そしてまた便となり排出される。これがいわゆる食物連鎖である。
生物は食べたり食べられたりしながら循環しているのである。
微生物を含めた生物全体の視点で見ると「共存」していると考えることが出来る。
「共存」という考え方はそれぞれの生物が自分の本能に従い、自分の食べるべきものを
食べ、これにより生物全体でバランスを取っていることである。
「共存」するという事は自然界の雄大さ、自然界の愛の深さが見えてくる。
本当に自然界は完璧だ。
食べ物に対する考え方を大きく2つ書いてきたが、動物を食べないで生きる生き方も
愛が感じられ美しいと思うし、共存の考え方は自然界の大きな愛を感じる。
どちらも非常に良い考え方だと思う。
どちらの考えで生きても良いし、これ以外の考え方でも良いと思う。
ただ、私が一番伝えたい食に対する考え方は、「食は命を頂いている」ということである。
日本にはとても良い言葉がある。
「いただきます」
「ごちそうさま」
昔から使ってきたと思う。
感謝をして命を頂く事、これが何より一番大切に思う。
色んな生物や人達に支えられて私たちは生きている。
沢山の生物の循環の中で生かさせてもらっている。
常に他の命と共に生きているということを忘れないで欲しい。
そして何を食べる時でも感謝の念を忘れずにいて欲しい。
ごぜんどころ